本当に必要なものを えらびぬく
いけばなでは、与えられた枝、花と向き合い、
その中から本当に必要な枝、花、葉を選んで、真となる線を見つけていきます。
ついつい、「切ってしまうともったいない、かわいそう。もしかしたら、家に帰ったら長いまま使えるかも」と余計なことを考えて、「まあいいや、このまま残そう」と切らずに残したままにしていると、作品として仕上げた時に、なんとなくバランスが悪い、凛としていない、美しくない、調和のとれていないものになってしまいます。
ほんの少しの違和感や、もったいない・・・という余計な「人間の都合」が邪魔して、全体が整わないのです。
反対に、選び抜いた線、必要以上に後から足されていない作品は、
周りから見てもはっとするほど美しく、心に響く作品になります。
ですから、花をいける時には、最後の最後まで、自分の目で「今、ここ」で必要なものを選び抜き、ハサミを置きます。
最後の1枚を切った時に、ガラリと景色が変わることもある。
そんな世界です。
そして、この「必要なものをとことん選び抜く眼」は、日常生活においてもとても役に立ちます。
本当は気に入っていないのだけど、まだ使えそうだから、、、と仕舞い込んでいたり。(そしていつも使わず、必要なものを取り出すのに邪魔をしている)
本当はこちらが良いのだけど、今はお金が足りないから、と安いものを選ぶ。
本当はこの仕事をやってみたいけど、まだ準備ができていないから、自信を持ってできるようになってから始めよう、、、と先延ばしにする。
どれもこれも、最近までの自分でした。
ずっと、「余計なものは手放した方がよい」「なぜ、花をいける時のように自分の人生を選び抜かないのだろう」「生け方と生き方を一致させたい」
そう思っていました。でも。忙しいから、まだ資金がないから、、、と言い訳。
ところが、この自粛期間、自宅にいることが多く、思いがけず片付けが捗りました。小さなものから取り組むうちに、最初は思い切れなかったことも、少しずつ軽やかに手放せるようになりました。モノも、思い出も。
「思い」は、重たいですね。。。でも、一旦手放してみると、「なくなっても確かにある。自分はなくならない」
軽やかになるだけで、自分はなくならない。思いを手放すことで関係性が軽やかになることもありました。自分だけでなく、相手も。
全て自分の思い込みだったのだなぁ。
大事にしないと、失礼。申し訳ない。相手を否定しているような気持ちになる。
そんな思い込みを手放すと、本当に大切にしたいものが自分の中から新たに立ち上がってきます。
重い蓋が退けられて、今までジメジメと押し込められていたものが、陽の目を見る。本当の思いを受け止められるようになってきました。ここからはスピードを上げて変化が始まります。
以前は、「お金がないから第2候補でよしとしよう」と思っていた時は、お金がない状態でい続けました。第2候補を選んだ時点でで、”お金がない状態”を望んで選んでいたのです。
でも、お金がなくても、本当にこれが欲しい!と手に入れたものは、金銭的な価値以上に本当に居心地がいいもので、毎日の暮らしを豊かにしてくれるものでした。経験値が上がり、少しずつ自分の周りが「自分の本当の気持ちで選んだもの、こと」になり始めました。
しかも、不思議なことに、その費用分が臨時収入として入ってきたり、将来の仕事に結びつく人に出会ったり。
経済的にもぐるぐると循環するようになってきました。
まだまだ、「今回はこちらにしておこう、、、」「心配だから、本当は嫌だけどこっちでいいや」と選びそうになる時もあります。心の声と違う方を選びそうになる。そういう時は、花を生けます。ちょっとまて、私はどうなりたいの?と聴く。
一つ一つ、丁寧に選び抜く。周りの声を気にせず、自分の価値観を大切に。
心が整うと、また迷いなく選択できるようになります。
「生け方」と「生き方」を一致させる。
これからも、迷うことはあると思いますが、
選び抜いた先に、想像以上に素晴らしい景色が広がることがわかっているので、思う存分、「どっちがいいの?」を楽しもうと思います。