いけばなは、自然と近づく仕事
今、自分の在り方、いけばなをいける意味を考えていて、以前に書いたブログを読み返しています。今日は、4年前に書いた記事を発見。
まだ日吉スタジオを開く前。いろいろ悩みながら、新しい扉を開こうともがいていた時期。
当時からお教室の形態や状況は変わっても「お花DEお話し」への想いは変わりません。
10年ほど前、起業した頃に「草月流の心」「家元の言葉」をご紹介するシリーズを書いていました。
いけばなを習っている人、教えている人にとってはもちろん、違う分野のアーティストさん、ビジネスマン、サラリーマン、学校の先生、子育て中の人。それぞれのタイミングで響く言葉、届く言葉があるので、ぜひお伝えしていきたいという気持ちで。
ただ、まだこの時は、いけばなをしている時の自分と、日常生活の中の自分が、少し離れていて、せっかく良いことに気づいても、暮らしの中に落とし込めていなかったかも。
その二人の自分。どちらも自分だけど、少しずついろんなものを手放して、常に平らでいられるようにしてきたこの数年かもしれません。
今日は、初代家元 勅使河原蒼風先生が書かれた「花伝書」「語録」
一番古い言葉は、昭和初期の、草月流創流直後のものですが、そのエッセンスは今でも通じるものがあります。
語録
『花は語る』の中から、一部をご紹介します。
『ひと枝をいける』・・・日本のいけばなにしかない形式。加えることよりも、捨てることに理想を置くという場合だ。
<中略>
感覚の豊富な人間、感受性の盛んな人間でなくては良い芸術は作れないというのも、あらゆる芸術がいつも自然から生まれてはいても、
よく自然を人間のものに征服して、そこに自己をよく生かしていなければならないからであろう。
知覚で自然を見ることは、どこまでいっても芸術にはならない。すぐれた感覚からのみ、良い芸術は生まれる。
引用終わり。
この後の文は、4年前に自分の思いを書いたもの。当時よりは少しは成長したのか、螺旋状に視座は上がっているのか?わかりませんが、備忘録として再掲します。
私自身、今では花を生けているときは、本当に「花と一体になって」楽しんでいます。
どんな場所でも、どんな材料でも、予定と違ったことが起きても、「最後は絶対にうまくいくから大丈夫!」と、お花さんを信じきっています。どんなチャレンジをしても、周りの場の空気や見ている方とおしゃべりをしていても、花が最後は導いてくれる。そう感じられるようになったのはごく最近です。
もちろん、生けている私は人間なので、習い始めてから十年以上は、少しでも技術を磨いたり、発想の引き出しを増やす努力はして来ました。でも、自分の頭だけで考えて、どうにかこうにかデッサンをしたり、見よう見まねで頑張っていたので、どうしても「限界」を感じることも多かったです。
ですが、育児期間十年間、お稽古をお休みし、七年ほど前に復活しお教室を主宰するようになってからは、とにかく「花と触れていることが楽しい」「考えなくても次から次へとアイディアが湧いてくる」ようになりました。
花とのやりとりが「とにかく楽しい」
年齢を重ねたことと、育児経験、仕事上での挫折を経験したからでしょうか。
ありのままを受け入れられるようになったからでしょうか。
「自然と繋がった」そう感じました。それからは誰に見られても緊張せず、楽しみながら生けられるようになって来たかな、、、と思い始めました。
それでも最初は、作品を褒められると
「私なんて、まだまだ未熟だし」
「きっと社交辞令だわ」
「いつかもっとすごい花を生けてみせる!」
などなど、花への敬意を忘れてしまうことも時々ありました。
自分を良く見せたいエゴも渦巻いていたことでしょう。
本当に花との絶対的な信頼関係が結べるようになったのは、あるとき、その「小さな自分」に気づいてから。
「いけばな」は自分のちっぽけな頭で考えたり、手先の技で作り上げたものではなく、
花との信頼関係の中で、大いにチャレンジしたり、試行錯誤しながら、周りと調和しながら創り上げていく芸術なのだ!と気づいたのです。
私はそこにたどり着くまで二十五年くらいかかりました。
でも、何より「自分で気づく」「自分の中から湧き上がってくる」ためには
師匠や先輩からのアドバイス、お稽古、人生経験、花との語らい を経て、然るべき時が来たら花開くのだと思います。
この気づきがあってから、お家元の言葉に触れた時に「あぁ、こういう感覚なのかもしれない」とすっと心に入って来ました。
いつでもどこでも、誰にでも
心に響く「いけばな」を届け続けられるよう、お花DEお話し は一生続きます。
2020年7月記
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少しずつ、薄皮をむくように自分の殻を破り、魂をそのまま表現できるようになりたいものです。
2024年10月12日記