「出会いこそ宝」
前々から気になっていた、「アトリエ陶華」さんの器を買いました。年に2回、大倉山のギャラリーカフェ夢うさぎさんで展示販売されている、白くてぽってりとした、美しい陶器。
「欲しいなぁ。でも使いこなせないかなぁ」と思うこと1年以上。
今日、背中を押してもらって、(クリームさんありがとう)いただいてきました。
普通のお昼なのに、おしゃれなカフェでのランチにランクアップ。目で見て綺麗なだけでなく、手触りや重さも心地よい。お皿も大切に扱いたくなるし、パンもいつもなら、そのまま食べちゃうところを、適温に温めたりして。
ゆったり丁寧に過ごしました。アァ幸せ。陶華さん、ありがとうございます。大切にします。(次回はカップ!)
昨日から、草月の冊子を読んでいたのですが、その表紙の言葉が、「出会いこそ宝」
そこに書かれていた、草月流の初代家元が創流時(20代後半)に掲げた「流訓」の言葉がしびれます。
流訓 一:礼儀正しく快活に
流訓 二:衣食住簡素で清潔に
流訓 三:すべてに調和の美しさ
流訓 四:持て研究心と独創力
中でも、響いたのが「流訓 二」
とてもよい言葉だったので、勅使河原蒼風家元の言葉をそのまま引用させていただきます。(一部略)
『簡素というのは、「必要なものは十分に備えた上で、余計なものはない。むだがないということ。余分なものは一切ないが、見るもの触れるもの一々気持ちがよいというのが本当の簡素である。簡素というのはよほどの腹ができていないと守れるものではない。(一部略)手に入れてはみたものの、手入れも不十分で不潔になって、せっかくの価値が失われていくというようなことはようあることだ。ものを選ぶのにはよほどの才能がいる。持ちつけないものを持ってみても笑われるだけだ。そういう愚かなことにならないように、浅ましいまねをしないようにというのである。』
みて触れて心地よいものを選びぬく眼を持ち、選んだものを持つのにふさわしい人間になりたいものです。
器との出会い、人との出会い。言葉との出会い。大切にします。