「ともに生きる社会」を考える
「ともに生きる社会」を考える 7.26神奈川集会
津久井やまゆり園事件から、一年。ほんの少し、裏方でお手伝いしてきました。
いろんな立場の当事者の方からの講演や報告、シンポジウムを聴き、いろんなことを考えるきっかけをいただきました。
「ともに生きる社会」っていうのは、みんながわかり合って、優しさに溢れて、思いやって安心して暮らす・・・なんて、甘っちょろいことだけではないです。
シンポジストの方の言葉で印象に残った言葉
①「ともに生きる社会」は、多様な社会。安心安全効率的ではない社会。自由=少しの不自由と非効率。
例えてみれば、「雑木林」
雑木林は、多種多様ないろんな木が生えている。公園や管理された林の様に手入れも整備もされていないから、子どもたちが安全に遊べないし、高価な材木になったり、木の実や果物がなる様な、お金になる木もない。
でも、津波に飲まれた杉林や松林は、全滅してしまったけれども、雑木林は、塩水に強い木が残り、林が維持できた。しかも、それまで土に埋もれていた命が、一斉に芽吹いて育った、というお話があります。
人間社会も同じだ、と思います。
②豊かさとは、「選択ができる」こと
障害のある人は、自分で決めることができない。判断ができない。と思われがちです。
決めることができないのではなく、「自分で決めたり、選択する機会がない」「選べる様に、情報をその人にわかる様に伝えられていない」んです。
支援する側が、「この方が安心だから」「わざわざいじめられる様なことをしない方がいい」と、本人を「思って」良かれと思ってサービスをしてしまうことを本人は望んでいないんです。
効率的ではないかもしれないけど、失敗を恐れず、自分で経験してみることこそが、「豊かな暮らし」に繋がります。
そのために、良質の情報をたくさん提供する。それを一緒に選ぶ。
豊かな暮らしとは
①②の前提として、「自分には話を聞いてくれる人がいる」という絶対的な安心感を持てる場所や、チャレンジできる(安心して失敗をできる)場所が大事です。自分事として、関わる仲間の存在。話を聞いて対話できる環境。
これって、障害の有無を問わず、誰にでも言えることだと思います。
いけばなにできること
「ともに生きる社会」を考えたとき、私には何ができるかと考えてみました。
いけばなを通してできるのは、
どの花、器、場所、人と出会ってもその時々での出会いを楽しむ心
物を言わない「花」とのやり取りの中で、その花の良さを見つけて生かす視点
「批判や失敗を恐れず、体験そのものを楽しむ・思う存分、自分のやりたいことをできる」場所
を提供することです。
豊かな選択肢や情報、チャレンジする心を支援するためには、支援者(親子や教育関係の場合は保護者・指導者)自身も、多様な選択肢と失敗を恐れぬタフな心、多様な経験をすることが大事です。
私自身も、まだまだこれからです。