「調和する」っていうことは

いけばなでいうところの「調和」

 

いけばなは、「花と器とその場の光と空間と人間の調和」です。

 

それぞれ、個性があり、それらが相反する性質を持つこともあります。
時にはその場にそぐわないもの、異質なものや、初めて出会ったから、どういう扱い方をすれば良いかわからず戸惑う素材に出会うこともあります。

 

この時のお花。右側は、ドライフラワーのリース。講師の先生が心を込めてフレッシュのお花たちをドライに仕立ててくださった愛情たっぷりの花材で作ったもの。

 

左側は、お稽古で使ったトサミズキとアンスリウム、華展で使った生のスティールグラスがたくさんあったので、バケツ稲だなぁと思って飾っておきました。そんな異質な二つを一緒にフレームに収めて見たら・・・あら不思議、想定以上にいい雰囲気。

 

ドライのリースと、ちょっとおふざけバケツ稲。全く違う時に、違う場所で、違う気分でできた異質なものだけど、左から射す自然光が良かったからか、不思議なことに全体としてはなかなかいい雰囲気が出ています。インスタグラムでの評判も結構良かったです。

 

その場で自分で思っていた以上に、後から見てもお気に入りの一枚になりました。

好きなお花、使いやすい器、いつもおきまりのポジション・・・でいると

 

それはそれは安心して自信を持っていけられるから、失敗することもないでしょう。安定の「調和」が出せます。

 

 

そうはいっても、「あれ、いつもと同じ花なのに、なんだかしっくりいかないなぁ」ということもあります。

 

生ものなのでね、その時々、全く同じ条件にはならないです。それに、「いつもと一緒」はなんだかつまらない。進化・変化したいんです。私の場合はね。

 

それよりも、「あ、この花はいけるのが難しい、苦手だな」と思っているものや、「え〜こんな組み合わせでどうやっていけるの?」という場面に出会うと、猛烈にワクワクします。

 

意外と、お花さんたち、個性豊かなので、強烈に反発しあうこともあるんです。

「あんたなんかキライよ!顔も見たくない!! ふん♪」(童謡のフレーズです、知っているあなたは、同世代♪)

とばかりに、背を向けることもあります。人間の「こうしたい」なんて甘い思いに、素直に従ってくれることもない、です。

 

でも、その個性豊かなオールスターキャストの顔ぶれを見ながら、それぞれの個性や特徴を生かして、その場の空気全体を「心地よい」空間にしていく作業が、花を活けること、だと考えています。

 

その時に、「意見をまとめるのが大変だから、自分の意見や想いは出さずに相手を優先すれば良い。それでまとまるなら、私がちょっと我慢する」

 

ということはしたくないのです。(かつては、そうしてました。そうしているうちに、我慢できなくなって爆発するので、やめました)

 

 

それよりも、まずは、自分の思いや個性をしっかり自覚すること。それができれば、もし相手から反発を受けても、強烈な意見やゴリ押しがあっても、自分を必要以上に卑下したり、押し殺したりする必要がなくなります。

あぁ、そういう考え方もあるのね。そういう感じ方をするんだ!と冷静に受け止められます。違う価値観を知ることで、結果的に自分の視野や世界を広げられます。ラッキーですね。

 

自分の軸がしっかりしていれば、自分と違った意見や批判を受け止めても、自分がぐらつくことはありません。必要以上に強がる必要もない。自分の全てをさらけ出して、丸ごと全部受け止めてもらおう、相手のことも、いいとこも悪いとこもひっくるめて「みんなが全部好き!」なんて言って、いい人になる必要もない。

 

お互いの全てを理解したり、受け止めることは、不可能です。だって、自分自身のことだって、理解できないし認められない。

わからないところ、理解できない部分、譲れない部分があっても良い。どちらが正しいか、判断する必要ない。

 

私が思う調和

お互い、あるがまま、その時々に共にいる時間・空間を心地よくするために、お互いの個性を生かして協力する。
それが調和だと思います。

 

違う意見があって当然。つるんとした、手触り舌触りの良い、単調な世界より、異質なもの、ザラザラとした感触を楽しみたいなぁ。

 

あ、あくまでこれは私の価値観です。

 

 

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