枯れゆく様を楽しむ
先日、いけたヒマワリ。いい感じに水分が抜けてきたので、ドライにしてみます。
生のお花は、枯れたり萎れちゃうから好きじゃない、という声も聴きます。
お仏壇にも、プリザーブドフラワーやアーティフィシャルフラワーなら、枯れることを気にせずいつまでもきれい!と人気があるようです。
ただ、やはり生の花の力には敵わない。
例えば、訪問先の受付にアーティフィシャルフラワーが置いてある時。『あ、なにかあるな』とは思っても、何という花だろう?とまでは心がひかれない。
でも、生の花があると、『わぁ、お花がある!きれいですね。これ何というお花ですか?』と、思わず会話が始まるのです。
お花を飾った人も、花の様子をこまめにみて、気にかかるようになります。『あ、お水が足りないのかな?萎れた葉っぱ、とってあげようかな?』『季節が変わったから、次は秋の花を入れようかな?』などなど。
そして、枯れてきた花を、そおっと花瓶からとりだして、汚れをとり、風通しの良いところに干して眺める。眺めていくうちに、色が抜け、茎や花びらがうねり始め、今まで隠れていた個性が現れ始めるのをみて
『まあ、こんな味があったのね〜』と、新たな一面を見出す。
これは、プリザーブドフラワーやアーティフィシャルフラワーではなし得ない事です。
生身の人間もそう。
ロボットのように永久不変な美しさや、表面的な美を継続する事はできないけど、歳を重ねるごとに、今までの生き様や価値観が内面からにじみ出てきます。若い時には、生き生きとした動きや瑞々しい肌ツヤに目がいき、気づかなかった内面。声の出し方や目の光、目尻の皺、言葉の選び方、纏う雰囲気、、、
いろんなところにその人の本質や価値観が現れてきます。時に、強烈な個性も。良いところもあまり好きじゃなかったところも、より強調される気がします。
自分自身、40代後半となり、まさに今までの積み重ねが現れ始めています。隠しきれないし、誤魔化せません。私は抗わず、ありのまま出します。
花の枯れゆく様に、自分を重ねています。
味のある枯れものになりたいです。