枯れるということ
ドライフラワー、枯れもの・・・
若い時には、そんなに興味もなかったです。たまにお店で見かけても、「生の花」のみずみずしさや美しさにはかなわないと思っていました。
お稽古後の花材を、乾かして取っておこうかな、と思ってもその手間や時間をかけることができませんでした。
昨年の華展で使った、アリアム昇竜 が、とっても立派で、見てくださった先生方が「これは立派で良い姿だから、枯れものにしてごらんなさい」とアドバイスいただいて、乾かし始めたものの・・・
最初はなかなか水分が飛ばず、いい匂いもして家族にはだいぶ迷惑をかけました。
いい香りを振りまくこと1ヶ月。お天気の良い日には、天日に当て、曇ってくれば慌ててしまい、空気が乾いた日には風に当てて、、、とまるで梅仕事の様に、毎日、花の様子を見ながら手をかけ心を配って過ごしているうちに、どんどん愛情が湧いてきます。
途中からは、この様に自室の天井にロープを張り、変化の様子を眺めては楽しんでいました。
途中、カビが生えそうになったり、うっかりぶつけて折れかけたこともありましたが、その後、2回の華展でも活躍をしてくれ、今はスタジオを飾っています。
一度、植物の枯れゆく様の美しさを知ると、いろんな実験がしたくなります。
この植物を乾かすと、どんな姿に生まれ変わるのか?
すべてのものがいい感じに枯れて行くとは限りませんが、その変化の様子が、どれも愛おしいです。
途中でこちらの気が緩むと残念ながら腐らせてしまうこともあります。
昨日まで、いい感じだったのに、、、ということも。
一旦、弱っても気を取り直して復活してくれることも。
人生いろいろ。
「枯れもの」のセピア色の世界に、鮮やかな差し色を入れると、両者の魅力があいまって、ハッとする美しさに出会えます。
若い時には、効率的なことや、みずみずしさ、若々しさに惹かれます。自分で手や目をかけて時間の経過を楽しむ余裕もあまりありません。
でも、自分も歳を重ねてくることで、目にみえない時間や経験の積み重ねが、ものや人の纏う空気感や魅力を引き出すことに気づきます。
今、ここ・・・に至るまでの、積み重ね。若さや瞬発力だけでは出せない、深みや渋さ。
人生半ばを越えましたので、表面的にパッと目にみえたり頭で理解できる美しさだけではなく、枯れものが纏う「雰囲気」を醸し出せるようになりたいものです。