自由にすることだけが、正解なのか?

 

トサミズキと器の合体。モノクロにしたら、どちらの線が植物で、どちらが鉄(器)かおもしろくなりました。

 

自由にするというけれど

自らを由として自分で歩く、というけれど、人生いろいろ。そんなエネルギーや時間があるときばかりではありません。自分の思う通りに過ごせる時間がない時期もあるし、生きている限り、決められたことを粛々とやるべきこともたくさんあります。
いっつも「自分の思いを発信」していたら、燃料切れになってしまいます。

そして何より、「自由にすること」が、必ずしも正解ではないです。「自由でない」自分、「自由にできない自分」を責めたり、あなたから見て「自由にしているように見える」人を羨んだり妬んだりする必要なんてないのです。あなたから見た、ある一部分が、「自由」に見えるだけで、その人の全部はわかりません。自身ですら、自分の「全部」は、わからないですものね。

人と比べるのではなく、自分の中に、「自分でも気づいていないもの」を発掘すると、これが本当に面白い。

心を解き放っていくと、ふと自分の中に眠っていた何かを見つけ出すことができます。

 

自分で、「このくらいしかできない」と決めつけていたことが、「あれ、意外とこんなことができちゃった」なんてこともあります。そんな時に、「あぁそうだ。今度、こんなことやって見たいなぁ」とふと思ったことが湧き上がってきたら、やってみればいいんです。

 

見つからなかったって、いいんです。見つかっても、今、やらなくたっていいんです。
自分で「やって見たい」「やろう」と決めたら、動く。

 

無理やり見つけ出したり、やりたくもないのに、無理にやろうとして、自分を追い詰める必要はないんです。

私も、未だに感想文を書いたり、思ったことをスラスラ言うことは、苦手です。「言わなきゃ!」と思えば思うほど、書いたり言ったりできなくなります。自分の中から湧き上がってこない時には、何にも出てきません。

自由に意見を言えないことが、苦しい時もありました。上手に表現できる様に練習もしたけど、余計に辛くなる。

でも、今は「何にもなければ、それもOK!」です。

自由に表現をしている人に出会い、いろんな価値観に触れ、選択肢が増えると、少しずつ自分の良さも活かせる様になるかもしれません。

人と出会うのは「比較する」ためではなく、多様な価値観に触れるチャンス。そう思うと、肩の荷がおりますね。