自分が「やりたい」ことを、やり遂げよう

 

シュロの葉っぱ。天井まで突き抜ける、巨大な万年筆。

突き抜けるいけばな

花は、自分の命をしっかりと生き切ります。

花は、「人のために、綺麗に咲こう」とか「あの人を元気付けよう」とかではなく、与えられた命を咲き誇るから、それを見た人間が、その姿から元気をもらったり、心に響く何かを受け取ったりします。

何かしてあげなくても、その姿そのものから受け手に響く何かが伝わります。受け止め方は、様々。花はなんの意図も指図もしません。

 

人も、「誰かのために生きる」のではなく、「自分の命を生きる」ことで、その人、本来の持ち味が輝いてきます。「誰かの役に立つ仕事」と思っていると、役に立てなくて落ち込んだり、褒められて嬉しくなったり。周りに左右されてしまいます。褒められないと「なんでこんなに一生懸命にやったのに、わかってくれないの!!」なんて、怒ってしまったり。

 

子育てでもそうです。「あなたのために、言っているのよ!!」と、息子を無理やりいうこと聞かせたこと、あります。「利用者さんのため」と言いつつ、自分が良いことをしていると勘違いしていたことも、あります。ご本人にとっては大きなお世話だったかもしれません。ごめんなさい。
自由奔放とか、わがまま放題との区別が難しいですけどね。。。わがまま、と思っているのは、私の思い込みかもしれません。

 

仕事ならなおさら。相手を指導するどころか都合よいように誘導していたかもしれません。反省はつきません。

 

過去はさておき、大切なのは「ただ、いま」

この先は、自分がやりたいと思ったことを、自分のためにしっかりやり遂げる。

 

いけばなで思う存分、「想い」を表現して行きます。

 

もしかしたらそのやり遂げようとする姿を見た人になんらかのよい影響があるかもしれません。

出来上がった作品に感動してくれる人がいるかもしれません。

一生懸命やって得た結果や過程をお話しすることで、共感してくれる人が出てくるかもしれません。

もし、そうやって出会えた人たちと、新しいもの、面白い場を創って行けたら 最高です。

 

そうなれなかったとしても、毎日、自分のやりたいことを存分にできたら 満足です。

遠い将来のため ではなく、「ただ、いま」できることから、やっていきます。

 

 

旅立つ時に、「あら、なんだかちょっとは世の中のお役に立ててたかな♪」なんて思えたら、大満足です。